たてログ競馬:思い出の重賞2023.4.25~天皇賞(春)、青葉賞

思い出の名馬、レース

今週末は春の天皇賞と青葉賞。春の天皇賞は久しぶりの京都開催という事で楽しみも膨らみます。そんな2重賞のそれぞれの思い出のレースを紹介します。

思い出の天皇賞(春)

天皇賞は説明不要のG1で旧8大競争の1つです。大昔は勝ち抜け制度で1度勝った馬はその後は春も秋も翌年も出走ができないレースでした。距離も春も秋も3200mで行われていました。1981年に勝ち抜け制度は無くなり、1984年のグレード制導入を機に春は3200mそのまま、秋は2000mへと変更されました。そんな歴史と伝統の天皇賞ですが思い出のレースは、、、。

2007年第135回天皇賞(春)。勝ち馬はメイショウサムソン

メイショウサムソンは皐月賞、ダービーを制した2冠馬で古馬になっても天皇賞(秋)を勝った名馬です。そんなメイショウサムソンが勝ったのが2007年の天皇賞(春)でした。なぜ思い出かというとこの天皇賞はメイショウサムソンが勝った天皇賞とうよりハナ差で2着に負けた福永祐一騎手鞍上のエリモエクスパイアの天皇賞という印象が強いからです。当時私は福永騎手をかなり応援していました。この天皇賞でも人気は11人気ながらダイヤモンドステークス勝ちがあり京都競馬場のレースでも結果を残していたエリモエクスパイアが気になっていて馬券に組み込みました。本命にしたわけではなかったのですが、軸馬から流して馬券を買っていました。軸馬にしたのは1番人気のアイポッパーでしたが、、、。レースはユメノシルシが逃げてマイソールサウンド、マツリダゴッホ、デルタブルースが続きます。その後ろ位に勝ったメイショウサムソン、2着のエリモエクスパイアや3着に入ったトウカイトリックなどが続きます。本命に推していた1番人気のアイポッパーはさらに後方からレースを進めています。3コーナーを過ぎたあたりでメイショウサムソンが先に上がっていって2番手まで押し上げます。エリモもその後を上がっていって4番手で4コーナーを回ります。トウカイトリックは内を内を進んでそのまま内を抜けてくる状況です。直線に向くとメイショウサムソンが早々に抜け出しますが、内からトウカイトリックが出し抜けを狙って伸びてきます。さらにメイショウの外からエリモが襲いかかってきます。そのまま3頭がなだれ込んできます。最後はメイショウサムソンがトウカイトリックを交わして、外から襲いかかってきたエリモをハナ差凌いだところがゴール。1番人気のアイポッパーもさらに外から伸びてきましたが時すでに遅しという感じでした。馬券的には外していましたので興味は応援していた福永騎手のエリモが差し切っているかどうかでしたが、、、。ゴールした瞬間に届いていないのは分かりましたが、、、。11番人気での激走でしたので願わくば買ってくれていればと思って確定を待ちましたが、、、、。メイショウサムソンがハナ差凌いで勝ち馬となりました。馬券は外すは応援していた福永騎手の馬は2着でしかも軸にもできなかったという事で何とも言えない気持ちになったレースとなり未だに忘れられないレースの1つになっています。そんな激戦になったレースをご覧ください。

思い出の青葉賞

青葉賞はダービーと同じ東京2400mでおこなわれるダービートライアルとして誰もが知るレースです。そんな青葉賞ですが何故か勝ち馬からはダービー馬が出ていません。ここを勝ってもダービでは2着までが最高着順となっています。1994年から始まったトライアルですが未だにそのジンクスは破られていません。そんな青葉賞ですが思い出のレースは、、、。

2002年第9回青葉賞。勝ち馬はシンボリクリスエス

シンボリクリスエスは名伯楽藤沢厩舎の名馬で有馬記念や天皇賞を制覇していて種牡馬としてもエピファネイア等多数のG1馬を輩出した名馬中の名馬です。

そんなシンボリクリスエスですがデビューは2歳10月と少し遅めでした。新馬戦を勝った後の年明けは勝ちきれないレースが3レース続いて2勝目を挙げたのが4月6日という事で皐月賞には間に合いませんでした。日程的にダービー出走を確実にするにはこの青葉賞で絶対に権利を取らなければなりません。そんな中鞍上に迎えたのは武豊騎手でした。関東の藤沢厩舎の馬に武豊騎手が騎乗するというだけで話題になりましたし、その年の武豊騎手はダービーではタニノギムレットに騎乗も決まっている中でしたのでかなり異例な感じがしたことを覚えています。藤沢厩舎としては確勝を期しての鞍上決定だったのだと思います。そんな状況でのレースでしたが結果はシンボリクリスエスの圧勝でした。道中9,10番手で進めて直線に向くと34.1の末脚で2着以下を2馬身1/2差を付けての余裕の勝利でした。とにかく強いレース振りで鞍上の武豊騎手にとってもダービー騎乗予定のタニノギムレットにとっては最も警戒しなければいけないライバルを誕生させてしまったレースとなりました。続くダービーでは岡部幸雄騎手が騎乗して挑みましたが結果はタニノギムレットに1馬身差されての2着となり青葉賞勝ち馬のダービー制覇はなりませんでした。その後もゼンノロブロイやフェノーメノと言った後の名馬が青葉賞を勝ってダービーに挑んでいますが、フェノーメノのハナ差2着が最も勝利に近づきましたが結局未だにダービー馬は誕生していません。シンボリクリスエスのこのレースの後日談ですが、藤沢調教師はこの勝利でダービにかなりの自信を持ったのですが、武豊騎手がレース後に「この馬が本当に良くなるのは秋以降ですよ」と言っていて、最初は本当か?と思ったと言っていましたが、ダービーの結果と秋以降の飛躍を考えると武騎手の話は本当だったと藤沢調教師が話されていました。今では青葉賞馬はダービーを勝てないという事は多く知られていますが、ダービーで勝負になる馬も見えてきています。シンボリクリスエスのように比較的楽に青葉賞を勝つような馬はダービーでも勝負になるという事はその後の勝ち馬を見ても如実にわかります。毎年青葉賞が終った後に勝ち馬の勝ち方や着差を見てダービーで狙えるかどうかを判断するようになりましたしその発端を作ったのがこのシンボリクリスエスだと思います。

そんなシンボリクリスエスの強いレースをご覧ください。


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