思い出の重賞2021.12.2~チャンピオンズカップ、ステイヤーズステークス、チャレンジカップ~クロフネ、メジロブライト、ヌエボトウショウ:たてログ競馬

思い出の名馬、レース

今週の思い出の重賞は3重賞あります。

まずはG1から

チャンピオンズカップ

元々ダートのG1はフェブラリーステークスのみでしたが、レース体系の拡充にともない、ジャパンカップダートとして2000年に創設され、ジャパンカップの前日の土曜日に開催されていました。

2008年からは施行時期をずらして阪神で開催されるようになり、2014年からは中京開催でレース名称も「チャンピオンズカップ」となり今に至ります。

そんなチャンピオンズカップですが、思い出のレースは、、、。

2001年第2回ジャパンカップダート。勝ち馬はクロフネです。

今年は野球では大谷翔平選手のリアル二刀流が世の中を席巻しましたが、今から20年前に競馬の世界でもリアル二刀流の馬がいました。それがこのクロフネです(同時期の1つ上の世代にもアグネスデジタルという二刀流がいました)

クロフネは外国産馬で3歳時(旧馬齢)から芝のレースで活躍。4歳時には毎日杯を勝ち、NHKマイルカップを圧勝して外国産馬にも一部解放された日本ダービーに出走(所謂マツクニローテ)。ダービーは2番人気でしたがジャングルポケットの5着と敗れ秋を迎えました。

ここでクロフネはこれまた外国産馬に一部解放された天皇賞(秋)を目指すことになるわけですが、出走枠は2頭という事でした。

当初は優先出走順位が2位で出走可能だったのですが、もう1頭のリアル二刀流の1つ上のアグネスデジタルが急遽出走を決めたのです。この事によりクロフネの天皇賞(秋)への出走は叶わなくなり、急遽ダート路線に活路を見出すべく武蔵野ステークスに出走します。そこで、、、、。強烈なレースぶりで圧勝。芝でもG1を勝つ能力がある馬がダートではもっと強うのではないかというぐらいの勝ちっぷりを披露しました。

このくだりはつい先月の思い出の重賞「武蔵野ステークス」で書いています。興味があったらご覧ください。

思い出の重賞「武蔵野ステークス」はコチラをご覧ください!

武蔵野ステークスの勝ちっぷりからこのジャパンカップダートも勝つのはほぼ決まっているかのようでしたが、問題はどんな勝ち方をするかという所がファンの一番の注目になっていたと思います。

レースは、、、、。解説するよりも見ていただく方が良いと思いますが、、、。2着に7馬身を付ける圧勝。しかも2着は前年のジャパンカップダートとフェブラリーステークスの勝ち馬でした。レコードのおまけつきです。とにかくレースをご覧ください。

このレース後、次の年には海外遠征の話が出ていましたが、故障のため無念の引退。

海外でのダートの走りを見ることなくターフを去りました。

今年はマルシュロレーヌがアメリカ競馬の最高峰であるブリーダーズカップディスタフを勝ち、本場ダート競馬のG1を日本馬がはじめて制するという快挙を成し遂げてくれましたが、クロフネが怪我せず海外遠征をしていたら20年前に達成されていたかもしれないと今でも思っています。そのぐらい強烈な勝ちっぷりでしたし、期待を抱かせるレースでした。

今年は奇しくもクロフネの娘の桜花賞馬ソダシがチャンピオンズカップに出走してきます。ソダシもリアル二刀流になれるかどうか楽しみですし、その他の出走馬も骨っぽいメンバーが揃っていますので、どんなレースになるか楽しみです。

ステイヤーズステークス

12月の中山開催の最初の重賞で、JRAの芝レースでは最も距離の長いレースがこのレースです。このレースが行われると師走が近づいてきたなとも思ったいります。

そんなマラソンレースですが、長距離適性の馬がリピートして1着になる事もありますし、生粋のステイヤーが勝つレースでもあります。

そんなステイヤーズステークスですが、思い出のレースは、、、。

1997年第31回ステイヤーズステークス。勝ち馬はメジロブライト

メジロブライトは父メジロライアンから続くメジロの血の馬で、クラシックでも有力視されていた1頭でした。新馬戦の函館1800mを2:01.6という遅い時計で勝った事でも当時は話題になっていました。

2歳時には当時からの出世レースラジオたんぱ杯3歳ステークス(旧馬齢)を勝ち、明けて4歳の共同通信杯も勝ってクラシックの主役の1頭となりました。迎えたクラシック第1戦の皐月賞は1番人気で迎えましたが、サニーブライアンの逃げに屈して4着。距離が伸びるダービーはさらに期待できるという事で、またも1番人気。結果はまたもサニーブライアンの逃げに屈して3着と父メジロライアンを思わせる惜敗で秋を迎えました。さらに距離が伸びる菊花賞も期待されますが、トライアルの京都新聞杯と菊花賞ともに2番人気で3着と結局クラシック制覇はなりませんでした。そんな状況での出走がこのステイヤーズステークスでした。

冬の冷たい雨の中で行われたレースでしたが1番人気の支持を受けての出走。レースは展開云々よりもとにかく見てほしいです。長距離レースでは着差は拡がるものですがとにかく強いの一言。能力が覚醒した瞬間だったかもしれません。実際にこの後は空けてAJCCを勝ち、続く阪神大賞典、天皇賞(春)と重賞を4連勝してG1タイトルを手にします。このレースから天皇賞(春)までがメジロブライトの一番の充実期だったとおもいます。

そんなメジロブライトの強さが覚醒したレースをご覧ください。

チャレンジカップ

チャレンジカップと言われると、私のような30年以上競馬を見ている人間にとっては、秋の阪神開催の最初の重賞「朝日チャレンジカップ」を連想してしまいます。ですが、調べて見る創設時の1950年には今の名称「チャレンジカップ」で行われていたようです。これには私もびっくりしました。

距離体系の整備等で開催が12月の上旬になったこのレースですが、思い出のレースは、、、。

1991年第42回朝日チャレンジカップ。勝ち馬はヌエボトウショウ

ヌエボトウショウは父トウショウゴッド、母プリティートウショウ、母父トウショウボーイというバリバリのトウショウ血統の馬です。牝馬にして牡馬混合重賞3勝を含めて重賞を5勝した女傑です。

レースはマルセイグートが逃げてイクノディクタスが2番手の展開。ヌエボトウショウは道中中団の8,9番手を追走。直線では当時では珍しい上り3F34.0の末脚でイクノディクタスを2馬身ちぎっての圧勝でした。このレースは3番人気でしたが、他の出走馬のレベルも高く、2着のイクノディクタスもそうですが、1番人気はヤマニングローバル(ミスターシービー産駒で目黒記念など重賞3勝)、2番人気はムービースター(天皇賞(秋)2着で重賞4勝)、5番人気にこのレースのあとさらに約4か月で5戦して5戦目の有馬記念で当時の最強馬メジロマックイーンを破り単勝万馬券で制覇するダイユウサクも出走していました。そんなレベルの高いメンバー相手に上がり34.0の末脚で2馬身ちぎって勝つヌエボトウショウの強さを知らしめるレースだったと思います。ヌエボトウショウはその後も重賞路線で活躍して、引退レースの京都牝馬特別でも勝利して引退しました。牡馬相手に重賞を勝つ馬が少なかった時代でしたから印象に残る女傑の一頭です。

このレースの映像がないのが残念ですが、混合重賞で当時1800mで行われていた北九州記念を勝った映像がありますのでそれをご覧ください。



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