思い出の重賞2021.10.6:たてログ競馬~毎日王冠、京都大賞典、サウジアラビアRC~

思い出の名馬、レース

秋競馬開幕のスプリンターズS、例年になく盛り上がった凱旋門賞が終わりいよいよ秋競馬が本番へと突入していきます。今週の思い出の重賞は毎日王冠、京都大賞典、サウジアラビアRCの3レースです。

毎日王冠

秋の東京開催の開幕週に行われる恒例のG2。年によっては超豪華メンバーでのレースになったりするのでスーパーG2とも言われたりしています。

創設当初は2500mだったようですが、その後2300、2000と距離が短縮され、1984年に秋の天皇賞の距離が2000mになったことに伴って、1800mになり天皇賞のステップレースとして定着しています。

この毎日王冠はスーパーG2と言われるだけあって思い出は沢山あるのですが、現地観戦してその時の東京競馬場はまるでG1レースの時のような雰囲気で、私自身もあの時の興奮は未だに忘れられません。これを聞いただけで勝ち馬がわかる人もいるかと思いますが、未だに語り継がれる伝説の毎日王冠です。

1998年第49回毎日王冠。勝ち馬はサイレンススズカです。

このレースは勝ったサイレンススズカもそうなのですが、その相手と目されている馬が2頭出走していました。エルコンドルパサーグラスワンダーです。

このレースの最大の見どころは、5歳(旧馬齢)になって本格化したサイレンススズカが春に金鯱賞で伝説の大楽勝のあと宝塚記念で悲願のG1制覇。秋初戦がこのレースでした。当時、本格化して無敵と思われていたサイレンススズカに挑むのが4歳(旧馬齢)の若駒にして無敗の2頭でした。

グラスワンダーは朝日杯3歳ステークスをレコードで圧勝した後に骨折。春は棒に振りましたが休養明けがこのレース。

エルコンドルパサーは共同通信杯(この年は雪の影響でダート開催)を圧勝してダートでは無敗でしたが、その後に―ジーランドトロフィー、NHKマイルカップと芝でも完勝して無敗で迎えたのがこのレースです。

グラスワンダーが骨折していなければエルコンドルパサーとはNHKマイルカップで激突していたはずですし、それが叶わずどちらが強いのかはファンの間でも議論されていました。

しかも、両馬の鞍上はともに的場均騎手が務めており、的場騎手がどちらを選ぶかが注目でもありました。

結果、的場騎手はグラスワンダーを選んでこの毎日王冠に挑むことになりました。

エルコンドルパサーの鞍上はというと、ご存知の通り蛯名正義騎手になりました。

そんな背景もあり、現役古馬最強にして史上最強の逃げ馬と言われていたサイレンススズカに無敗の若駒2頭がどういうレースをするのかという事が最大の関心事となったわけです。

しかも、当時の天皇賞外国産馬の出走ができないレースでしたので、この3頭が相まみえてしかもそれぞれが適距離のレースとなるとこの毎日王冠が最大の舞台となった事もありました。

このレースですが、G2なのにレース前に拍手が起きました。今でこそG2でもG3でも拍手が起きることはありますが、当時はG1レース以外で拍手が起きることはなかったと記憶しています。それが自然と拍手と歓声が上がりました。しかもG1レース並みにです。

確かに現役最強馬が逃げ馬でそれを追う2頭の無敗の若駒がどれだけ強いのかというファンの想像力も相当掻き立てられる相手関係ですので興奮して当たり前だったと思います。

レースは予想通り(ファンの希望通り)サイレンススズカがハイペースで逃げてグラスワンダーとエルコンドルパサーがほぼ同じ位置で追う展開。大ケヤキを過ぎたあたりでグラスワンダーが先にサイレンススズカに並びかける勢いで上がっていきます。サイレンススズカを負かしにいっているように見えて、その時の歓声は今でも覚えていますし本当に痺れるシーンです。エルコンドルパーも徐々に進出して直線を向かえます。グラスワンダーは直線で2番手まで上がっていましたがそこからの伸びが見られません。エルコンドルパサーは直線で4番手からしっかりと伸びてきてグラスワンダーを交して相手はサイレンススズカだけになりますが、サイレンススズカも逃げていてもスピードがまったく衰えず、エルコンドルパサーに2馬身1/2をつけてゴール。2着はエルコンドルパサー。その後ろは5馬身開いてさらに3/4、首差でグラスワンダーは5着となったレースでした。

サイレンススズカの強さが際立ったレースでしたが、レース後の武豊騎手はエルコンドルパサーの伸びにもびっくりしたと言っていて、化け物だと思ったと回顧しています。

グラスワンダーはいかにも骨折明けといったレース結果となり残念ではありましたが、着を拾いに行かずに勝負に行った事は感じられたのでこの3頭の死闘は本当に痺れましたし感動するレースでした。

その後の3頭はというと、サイレンススズカは次走の天皇賞での悲劇があり、現地で観戦していたので今思い出しても涙が出てきます。

エルコンドルパサーとグラスワンダーのその後の活躍は言わずもがなですし、その後の活躍があるからこそこの毎日王冠の価値がさらに上がったと言ってもおかしくありません。

今年もそんなワクワクしたレースを見たいものです。

ウマ娘サイレンススズカエルコンドルパサーグラスワンダーはコチラです。

京都大賞典

毎日王冠と並び、秋競馬の京都開催の超定番G2の京都大賞典ですが、今年は阪神で行われます。

京都大賞典というと、天皇賞春に勝つような中長距離の猛者が秋の天皇賞やJCへ向けて始動するレースとしても定着しています。

古馬が活躍するレースとして定着していますが、3歳馬(旧馬齢だと4歳馬)が菊花賞のステップレースとして出走。しっかりと勝利して結果を出し、次の菊花賞も勝利した馬がいました。その年の京都大賞典を紹介します。

1998年第33回京都大賞典。勝ち馬はセイウンスカイです。

奇しくも先に紹介した毎日王冠と同じ年のレースになりましたが、この年の牡馬クラシック戦線は3強と言われる馬がターフを賑わしました。スペシャルウィーク、キングヘイロー、そしてこのセイウンスカイです。しかも当時はクラシックの出走が叶わなかった外国産馬ではグラスワンダーとエルコンドルパサーも同世代になります。30数年競馬をやっていますが、3強世代と言われる世代は何世代かありました。大昔では1976年のクラシックを賑わせたトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスのいわゆるTTG世代がそうですし、私が競馬を見始めて少したってからは、1993年のクラシックを賑わせたビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンの3強などがそれにあたります。ただ、この1998年のクラシック世代は3頭ともに個性的で各馬人気もあり、しかも強烈な外国産馬2頭もいて、実質5強世代でもあります。この世代はいまでも史上最強世代と言う人も多いです。(私もその一人です。)

この世代の話はまたどこかで詳しく書きたいと思っています、

そんな最強世代の1頭がセイウンスカイです。

セイウンスカイはこのレースまでに春のクラシック皐月賞を制しました。ダービーはスペシャルウィークの4着に敗れました。そんな中での秋初戦として選んだレースがこの京都大賞典でした。当時4歳(旧馬齢)のクラシック路線で秋に菊花賞を目指す場合は、関東馬はセントライト記念。関西馬は京都新聞か神戸新聞杯と決まっており、この時期に古馬中心の中距離G2を菊花賞のステップレースとして選ぶ馬は皆無といってもよかったかもしれません。

そんな時代に敢然と挑んだのがこのレースでした。その他の出走馬も豪華で、前の年のクラシックを賑わせた天皇賞馬メジロブライト、有馬記念を勝ったシルクジャスティスさらにステイゴールドや善戦マンのローゼンカバリ―もいました。7頭立てと頭数も少なかったですが、セイウンスカイは4番人気でした。当時の状況だと古馬中心のG2に若駒が挑む事が無謀だと思われていましたし、セイウンスカイが逃げ馬だった事もあったのだと思います。

レースは大方の予想通りセイウンスカイの逃げで進み、スノーボンバー、ゴーイングスズカが続き、メジロブライト、ステイゴールドがその後ろ。さらにその後ろにシルクジャスティスが続く展開です。直線を向いてセイウンスカイのスピードは衰えず、スノーボンバー、ゴーイングスズカが脱落していき、メジロブライトがセイウンスカイに猛然と並びかけ、シルクジャスティスがステイゴールドを交して3番手まで押し上げたところがゴール。セイウンスカイが首差しのいで1着でゴールイン。私は東京競馬場でこのレースを見ていましたが、結構ざわついたのを覚えています。(セイウンスカイってこんなに強かったのか~的なざわつきでした)2,3番手を進んだ馬が再開とブービーだった事を考えても逃げたセイウンスカイが楽に逃げたわけでもない事もわかります。

その後セイウンスカイは菊花賞でスペシャルウィーク、キングヘイローを破りその年の2冠を達成します。

最強世代の個性的な逃げ馬として今も深く思い出に刻み込まれている名馬です。

サウジアラビアロイヤルカップ

レース名がこの名前になって今年で7回目になりますが、そのまえは「いちょうステークス」として定着していたレースです。秋の東京1600mで行われていることもあり、勝ち馬にはその後の名馬が何頭も名を連ねています。

そんなサウジアラビアRCですが、思い出のレースはやはり「いちょうステークス」時代のレースになります。

1995年いちょうステークス。勝ち馬はエアグルーヴ

このレースは画像の2分14秒の所からが一番の見せ場になります。それまでは、勝ったエアグルーヴが内々の2番手を追走して直線に向きます。逃げ馬の進路を見ながら行き場を探してラチ沿いを選択。そのまま逃げ馬を楽々交して余裕でゴールかなと思った矢先に逃げ馬が内にヨレてエアグルーヴは手綱を引っ張って減速。その時点で4番手に後退、、、、。普通ならそのまま挽回も厳しい状況。しかも3歳(旧馬齢)の若駒でもあり牝馬でもあるので余計にそう感じるほどの減速の仕方でした。しかし、残100mちょっとの所で立て直して再度追いはじめると、、、、。100mだけで1馬身差をつけて1着でゴール。ただただ圧巻のレースです。3歳牝馬が直線で致命的な不利を受けても残り100mだけで先頭でゴールという離れ業ですので、今でも強烈に覚えているレースです。

今でこそ牝馬が牡馬に勝つことが当たり前の時代になっていますが、当時はまだまだ牝馬が牡馬混合のレースに出てきても勝ち切る馬はそうはいない時代でした。そんな中、このようなレースでしたので今回紹介しました。

エアグルーヴについては説明不要の女傑にして母親としても日本のサイヤーラインに大きく影響を残している名馬中の名馬です。

ウマ娘のエアグルーヴはこちら

今年は有力馬に牝馬もいるようですので、どんなレースになるか楽しみです。



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